今年も今日で終わり。来週の月曜にはロンドンに向けて出発。落ち着かない。何か混沌としている。拭っても拭った手についてしまうタールのようなものが常に僕の意識のどこかに住み着いている。今年は死の年だった。こんなに多くの死に囲まれたことはない。僕の頭の中はクリアーになれるかな。それとも混濁した汚染された無意識に引きずり込まれるのか。体調があまりよくない。高速道路の上を140Kmで移動中、年が明けた。
1998年12月30日
12月30日(水)
銀行が今日までだったので、外貨に両替えしようと思ってたんだけど、起きたら1時近くで、3時までにポンドの両替えをやってる支店まで行くパワーがなかったので当日空港でやることにした。財布を買った。古本屋を覗いてみたら、在庫切れになっててもう手に入らないK.W.ジーターの『グラスハンマー』が売ってたので思わず買った。早川文庫の彼のリストはほとんど品切れで古本屋に期待するしかない。これは本当に嬉しかった。それとガルシア・マルケスの『十二の遍歴の物語』とレイナルド・アレナスの『めくるめく世界』を買った。この日記でもよく書いてることだけど、中南米の作家は侮れない。20世紀後半で最もパワーのある芸術の一つだと思う。あと1日で1998年も終わり。波乱万丈の1年だった。来年はどんな年になるんだろう。
1998年12月29日
1998年12月27日
12月27日(日)
今日はアルバムのためのプリプロの最終日。技術的な事もあって、コーディネーターのラオクスさんとディレクターのT氏と事務所から高橋さんが来た。
メンバーだけになってから、彼等は直接セミのことを知らないんだけど、彼を偲ぶため、彼がHALで弾いたトラックと彼に以前もらってたデモテープから何曲かをみんなで聞いた。
halは最近ある明確な自分の姿勢についてのビジョンを持つようになって、それを軸にHALの進む方向についての考えを明確にした。HALは彼女の世界を展開すべき場なので、僕はhalのインスピレーションに常に注意を払ってるんだけど、今回halが手にしたビジョンは非常に強力で説得力を持つものだったので、メンバーに伝えることになった。練習が終わってからメンバーでミーティングをした。今年の最後を締めくくる気合いの入る内容だった。
燃えて朝方3時頃帰宅して家に入ろうとしたら、カギがなくて気が遠くなった。僕の弟が合鍵を持っていたので、実家に戻って取りに行って、家に入ったら朝6時前だった。麻布→横浜北部→横浜南部→横浜北部という最高に疲れるドライブだった。午前中用事があったので、結局寝ないで出かけた。
メンバーだけになってから、彼等は直接セミのことを知らないんだけど、彼を偲ぶため、彼がHALで弾いたトラックと彼に以前もらってたデモテープから何曲かをみんなで聞いた。
halは最近ある明確な自分の姿勢についてのビジョンを持つようになって、それを軸にHALの進む方向についての考えを明確にした。HALは彼女の世界を展開すべき場なので、僕はhalのインスピレーションに常に注意を払ってるんだけど、今回halが手にしたビジョンは非常に強力で説得力を持つものだったので、メンバーに伝えることになった。練習が終わってからメンバーでミーティングをした。今年の最後を締めくくる気合いの入る内容だった。
燃えて朝方3時頃帰宅して家に入ろうとしたら、カギがなくて気が遠くなった。僕の弟が合鍵を持っていたので、実家に戻って取りに行って、家に入ったら朝6時前だった。麻布→横浜北部→横浜南部→横浜北部という最高に疲れるドライブだった。午前中用事があったので、結局寝ないで出かけた。
1998年12月26日
12月26日(土)
セミの告別式。吉田さんと桜木町で待ち合わせして、一緒に教会へ向かう。吉田さんはHALが最初のレーベルと契約する直前に知り合った。ブラックミュージックについて多くを彼から学んだ。吉田さんは当時バークリーを出て、帰国して日が浅くて、とにかく凄いドラマーだった。一流の凄さを体感させてくれた初めての人だった。HALのメンバーとして2回程一緒にライブをやったことがあって、その時のベースはセミだった。セミは吉田さんがきっかけになって、バークリーに行くことを具体的に考えはじめたと思う。結局そのあとセミは奨学生としてバークリーに行った。
僕は15歳の時にセミと知り合った。その頃僕は別の人間とバンドをやってて、その人を介してのものだった。まだベースは弾いてなくて、その後ちょっとして弾きはじめたと記憶してる。当時は高校もお互い違うところに行ってて、時々ライブの時とかに顔を合わせるくらいだった。その後偶然同じ大学に進んで、halと僕は知り合って、HAL の母体になる別のバンドを始めた。セミとはその頃から一緒に活動しはじめた。一緒にやってた時もあったし、離れていた時もあった。でも僕達がつかず離れずの関係を保てたのは、多分お互いが音楽に真剣だったからだと思う。人生のプライオリティーにまず音楽が来てたから、付き合えた。バンドをやってても、簡単に音楽を捨てる人もいる。それは人それぞれのの生き方であって、各々が自分の道を行くべきだと思う。ただ音楽に第1の価値をおける人はなかなかいなくて、たまたま僕達はそうだった。セミは僕の次の日に生まれていて、それも僕に何か縁を感じさせていた。心の中では自分の弟のように思っていたのかも知れない。守るべき存在として。
結局僕達は同じバンドのメンバーとしては決別するんだけど、その後も付き合いは続いた。レコーディングにも参加してもらったし、ライブがあると見に来てくれた。
バークリーを卒業して、帰国してから彼も自分の活動が軌道にのってきてたみたいで、ここ1年半ほとんど互いに連絡しなくなっていた。僕達も移籍の騒ぎや、様々な問題を抱えて四苦八苦してたから、友達とゆっくり楽しむ時間も精神的な余裕もなかった。そこに突然入って来た訃報だった。僕は彼の死に意味を見出せない。なんで彼が死ななければいけなかったのかわからない。式の最後に彼の顔を拝むことが出来た。
僕の心にはリミッターがかかってる。何も感じられない。
僕は15歳の時にセミと知り合った。その頃僕は別の人間とバンドをやってて、その人を介してのものだった。まだベースは弾いてなくて、その後ちょっとして弾きはじめたと記憶してる。当時は高校もお互い違うところに行ってて、時々ライブの時とかに顔を合わせるくらいだった。その後偶然同じ大学に進んで、halと僕は知り合って、HAL の母体になる別のバンドを始めた。セミとはその頃から一緒に活動しはじめた。一緒にやってた時もあったし、離れていた時もあった。でも僕達がつかず離れずの関係を保てたのは、多分お互いが音楽に真剣だったからだと思う。人生のプライオリティーにまず音楽が来てたから、付き合えた。バンドをやってても、簡単に音楽を捨てる人もいる。それは人それぞれのの生き方であって、各々が自分の道を行くべきだと思う。ただ音楽に第1の価値をおける人はなかなかいなくて、たまたま僕達はそうだった。セミは僕の次の日に生まれていて、それも僕に何か縁を感じさせていた。心の中では自分の弟のように思っていたのかも知れない。守るべき存在として。
結局僕達は同じバンドのメンバーとしては決別するんだけど、その後も付き合いは続いた。レコーディングにも参加してもらったし、ライブがあると見に来てくれた。
バークリーを卒業して、帰国してから彼も自分の活動が軌道にのってきてたみたいで、ここ1年半ほとんど互いに連絡しなくなっていた。僕達も移籍の騒ぎや、様々な問題を抱えて四苦八苦してたから、友達とゆっくり楽しむ時間も精神的な余裕もなかった。そこに突然入って来た訃報だった。僕は彼の死に意味を見出せない。なんで彼が死ななければいけなかったのかわからない。式の最後に彼の顔を拝むことが出来た。
僕の心にはリミッターがかかってる。何も感じられない。
1998年12月25日
12月25日(金)
セミの通夜。halと会場である横須賀の教会に向かう。いまだに実感がない。牧師の話しを聞いて、賛美歌を唄って、彼のお父さんの話を聞いた。献花する時になって、柩のある祭壇の前に、彼が愛用していたベースが置かれているのを見て、涙が出てきた。ミュージシャンの魂が持ち主を失って、立ち尽くしていた。帰り、実家に寄って、アルバムを探したら、昔の写真が出てきた。HALのメンバーとして、ベースを弾いてた時の写真。カセットを見てたら、彼のデモテープが2本見つかった。リハのテープも。横浜でライブをやってた頃のことを思い出して、彼の冥福を祈った。セミは戦って死んだ。残された者は戦い続ける。
1998年12月23日
12月23日(水)
父の誕生日だった。こういう職を選んでしまって、親不孝な僕だけど、何だかんだ言って黙って許してくれる両親に僕はすごく感謝している。親父は体調が優れなくて冬になると入院する。今日は誕生日ということもあって、家に戻れるというので、僕も実家へ帰った。親父は昔から動物が好きで、特に鳥に関しては幼少の頃に新聞が取材しに来たくらいたくさん飼ってて、最近体調を崩して仕事の量を減らしてから、趣味で鳥の写真を撮るようになった。横浜と鎌倉のボーダーに僕の実家はあって、互いを隔ててるのは山。最近その山が自然公園として整備されて来て、写真を撮るのにはもってこいらしく、ここ1年程休みになると撮りに行ってる。実家に帰るとその写真を見せてもらう。周りに好評らしく一度売ってくれと頼まれて、生まれて初めて自分が撮った写真が売れたと驚いていた。
1998年12月22日
12月22日(火)
朝、halからの電話でセミが事故で他界したことを知った。彼は僕の高校時代からの知り合いで、高校は別だったんだけど、偶然お互い同じ大学に行って、僕とhalが会って、最初に組んだバンド、HALの母体になったバンドのメンバーだった。ゲルを始め僕が今でも仲良くしてる友人とみんな繋がってて、僕やhalにとっていろいろ縁のあるやつだった。HALがプロになってからも“SWEET THING”“BELLS-4”“PSYCHICK”等何曲もレコーディングに参加してもらってた。一種の音楽の天才でいいベース弾きだった。事故の詳細は知らない。正直言って実感がない。ヤツがこの世を去ったというのが理解できない。当時一緒にバンドをやってたミズシマ君から電話で通夜と告別式の日取りを聞いた。ミズシマ君とセミの葬儀の話しをしてるなんてシュールすぎる。
1998年12月20日
1998年12月17日
12月17日(木)
元章さんとオカちゃんと僕で飯を食べた。元章さんが腕の内側にドーンとタトゥーを入れててクールだった。元章さんは段々ロック度に磨きがかかってきた。かっこいいぜ。オカちゃんとも今回はまたいろいろ話が出来た。二人とも結構映画、ビデオを見てて、話が通じるので楽しかった。
僕は自分が普通の価値観を持った人と話をあわせる能力を有してるとずっと思ってたけど、実はそうでは無いことに最近気付いた。元章さんやオカちゃんはやっぱり普通の人とは確実に違ってて、僕もふと気付くとそのボーダーの向こう側に居て、halやメンバーや僕の友達も一線を超えてしまっている。
一線を超えたところにいる人と話していると、僕はリラックス出来る。でも、最近はあんまりそういう機会もないけど、僕から見て線の向こう側にいる人と話すのは、非常に骨が折れる。僕は相手を不安にしないように演じなければならない。下らない価値基準にあわせなければならないし、感情を抑制しなければならない。
象徴的な話がある。以前ある商社に勤めるOLとhalと僕で話す機会があって、イギリスではTVの規制が日本より厳しいと言う話題がhalから出た。halはロンドンで、レコーディング中に、偶々TVで『マッド・マックス』を見ていた。マックスの同僚が犯罪者集団に暴行を受けて火だるまになるシーンがあって、その後面会に来たマックスが全身に火傷を負った同僚と遭遇するシーンが来るはずだった。しかし遭遇する直前で場面が変わって、暗い表情で病室を出るマックスのシーンに続いていて、遭遇シーンはカットされていた。これがhalには面白かったみたいで、そのOLにその話をしようとして、『マッド・マックス』と言った時、OLは無反応で、halも僕も年齢的にも『マッド・マックス』くらい知ってるだろうと思っていたんだけど、ふと不安になって、『マッド・マックス』を知ってるか尋ねてみた。そうすると、halや僕には、衝撃的な返事が帰ってきた。彼女は、名前も聞いたことがない、と言った。僕は『マッド・マックス』を見てることが人間の常識とは当然思ってないんだけど、『マッド・マックス』のタイトルさえ聞いたことがない人とどんな話をしたらいいのか全くわからなくなってしまった。しょうがないので、halと僕で『マッド・マックス』がどんな映画か説明しようとするんだけど、近未来の荒涼とした世界で、暴走族集団が、罪のない人を殺戮してて、警察の方でも、火だるまにされたり、家族を狙われたりして大変で、なんて話してたら、自分達がなんとも意味の無いことをしてる気分になってきて、どっと疲れた。その後はOL的基準で、話をあわせて、当たり障りのない下らない話がだらだらと続き苦痛だった。
元章さんやオカちゃんと話すのは楽しかった。演じる必要がないから。世の中のチープな道徳観やその裏に隠れたルサンチマンや被害妄想は暴力的で傷つくよ。こうやって友達と話してるのは、安らぐね。最近特に世間の人々の無意識の暴力にうんざりしてるんだよね。
僕は自分が普通の価値観を持った人と話をあわせる能力を有してるとずっと思ってたけど、実はそうでは無いことに最近気付いた。元章さんやオカちゃんはやっぱり普通の人とは確実に違ってて、僕もふと気付くとそのボーダーの向こう側に居て、halやメンバーや僕の友達も一線を超えてしまっている。
一線を超えたところにいる人と話していると、僕はリラックス出来る。でも、最近はあんまりそういう機会もないけど、僕から見て線の向こう側にいる人と話すのは、非常に骨が折れる。僕は相手を不安にしないように演じなければならない。下らない価値基準にあわせなければならないし、感情を抑制しなければならない。
象徴的な話がある。以前ある商社に勤めるOLとhalと僕で話す機会があって、イギリスではTVの規制が日本より厳しいと言う話題がhalから出た。halはロンドンで、レコーディング中に、偶々TVで『マッド・マックス』を見ていた。マックスの同僚が犯罪者集団に暴行を受けて火だるまになるシーンがあって、その後面会に来たマックスが全身に火傷を負った同僚と遭遇するシーンが来るはずだった。しかし遭遇する直前で場面が変わって、暗い表情で病室を出るマックスのシーンに続いていて、遭遇シーンはカットされていた。これがhalには面白かったみたいで、そのOLにその話をしようとして、『マッド・マックス』と言った時、OLは無反応で、halも僕も年齢的にも『マッド・マックス』くらい知ってるだろうと思っていたんだけど、ふと不安になって、『マッド・マックス』を知ってるか尋ねてみた。そうすると、halや僕には、衝撃的な返事が帰ってきた。彼女は、名前も聞いたことがない、と言った。僕は『マッド・マックス』を見てることが人間の常識とは当然思ってないんだけど、『マッド・マックス』のタイトルさえ聞いたことがない人とどんな話をしたらいいのか全くわからなくなってしまった。しょうがないので、halと僕で『マッド・マックス』がどんな映画か説明しようとするんだけど、近未来の荒涼とした世界で、暴走族集団が、罪のない人を殺戮してて、警察の方でも、火だるまにされたり、家族を狙われたりして大変で、なんて話してたら、自分達がなんとも意味の無いことをしてる気分になってきて、どっと疲れた。その後はOL的基準で、話をあわせて、当たり障りのない下らない話がだらだらと続き苦痛だった。
元章さんやオカちゃんと話すのは楽しかった。演じる必要がないから。世の中のチープな道徳観やその裏に隠れたルサンチマンや被害妄想は暴力的で傷つくよ。こうやって友達と話してるのは、安らぐね。最近特に世間の人々の無意識の暴力にうんざりしてるんだよね。

